歩き方の“きれいさ”を追いすぎていませんか?
本当に大事なのは、患者さんの人生に役立つ歩行です
「もっときれいに歩けるようにしたい」
「この歩き方のままで本当にいいのか」
リハビリをしていると、歩行についてこう考える場面は多いと思います。
もちろん、歩行の質を見ることは大事です。
骨盤の動き、立脚の安定性、反張膝、分回し、体幹の代償。
そういったところを丁寧に見るのは、私たちにとって当たり前のことです。
でも、ここで一度立ち止まって考えたいことがあります。
私たちは、何のために歩行を見ているのでしょうか。
歩き方をきれいにするためでしょうか。
正常歩行に近づけるためでしょうか。
私は、そこを目的にしてしまうと少しズレてしまうと思っています。
本当に大事なのは、
その歩行が患者さんの人生にとって意味があるかどうか
ではないでしょうか。
歩行は、見せるためのものではなく、生活のためのもの
歩行は、誰かに見せるためのものではありません。
患者さんが生きていくための手段です。
自分でトイレに行く 病棟内を移動する 家の中を歩く 買い物に行く 通院する 家族と外に出る
患者さんにとって歩く意味は、こういうところにあります。
だから、いくら教科書的に整った歩き方に近づいても、
生活の中で使えなければ意味は薄くなります。
反対に、多少代償があったとしても、
安全に歩ける 生活の中で使える 転びにくい 目的の場所まで行ける
のであれば、その歩行には大きな価値があります。
ここを忘れてしまうと、
いつの間にか**「歩くこと」そのものが目的**になってしまいます。
でも本当は違いますよね。
歩行は、あくまで生活を支えるための手段です。
“きれいな歩行”を目標にしすぎるのは危ない
歩容の質を大事にすること自体が悪いわけではありません。
むしろ大切です。
ただ、そこで気をつけたいのは、
「きれいさ」が目的になってしまうことです。
例えば、
少し代償はあるけれど病棟内を自立して歩ける 杖や装具を使えば家の中を安全に移動できる 退院後の生活が現実的に回りそう
こういう状態なのに、
「もっと歩き方を整えないといけない」
「まだきれいじゃない」
と考えすぎると、患者さんにとって本当に必要なものが見えにくくなることがあります。
患者さんが欲しいのは、
“きれいに歩いて見えること”ではなく、
自分の生活を取り戻すことです。
だから、私たちは歩行を見るときに、
見た目の印象ではなく、
その歩行で何ができるようになるのか
を常に考えないといけないと思います。
では、歩行の質は見なくていいのか?
ここで誤解してはいけないのは、
「実用性が大事だから、質はどうでもいい」という話ではないということです。
歩行の質を見るのは、とても大事です。
ただし、それは見た目のためではありません。
質の問題は、
転倒しやすさ 疲れやすさ 痛み 二次障害 非効率 長く続けられるかどうか
に関わってきます。
つまり、歩行の質を見る意味は、
安全で、続けられて、生活で使える移動にするためです。
ここをはき違えてはいけないと思います。
たとえば、実用的に見えても、
反張膝が強すぎる 疼痛を伴っている エネルギーコストが高すぎる 転倒リスクが高い 長期的に悪化しそう
という歩き方なら、やはり調整は必要です。
だから大切なのは、
きれいかどうかではなく、
その歩行が安全で、使えて、続けられて、患者さんの生活を支えられるかどうか
です。
私たちが見るべきなのは「歩き方」ではなく「歩いた先の生活」
リハビリの現場では、どうしても動作そのものに目が向きます。
もちろんそれは必要です。
でも、そこだけに意識が向くと、患者さんの生活が置き去りになります。
本来見るべきなのは、歩き方そのものだけではありません。
その人は何のために歩きたいのか どこまで行ければ生活が成り立つのか 家ではどんな環境なのか 一人で移動できることにどれだけ意味があるのか その歩行で人生が少し前に進むのか
ここですよね。
例えば、病棟の中を一人でトイレまで行けるようになることが、その人にとってものすごく大きな意味を持つことがあります。
また、家の中を安全に歩けるだけで、退院後の生活が大きく変わることもあります。
そう考えると、私たちが本当に見ないといけないのは、
歩容の形そのものより、歩行が患者さんの生活にどう返るか
だと思うのです。
リハビリは「正しい歩き方」を教える仕事ではない
ここは、かなり大事なところだと思います。
リハビリは、正常歩行を再現することだけを目指す仕事ではありません。
患者さんがその人らしく生活していくために、必要な移動能力を一緒に作っていく仕事です。
だから、
正常歩行に近いかどうか 見た目が整っているかどうか
だけで判断してしまうと、本質から外れてしまいます。
もちろん、改善の余地が大きい時期に、代償を固定しすぎないように丁寧にみることは大切です。
でもそれも、最終的には患者さんの生活を良くするためです。
きれいに見せるためではありません。
本当に問うべきこと
歩行練習をしているときに、本当に問うべきなのは、たぶんこういうことです。
この歩行で、患者さんの何が変わるのか。
トイレに行けるようになるのか 家の中を移動できるようになるのか 退院後の不安が減るのか 活動範囲が広がるのか その人らしい生活に近づくのか
ここに答えられる歩行練習なら、意味があります。
逆に、歩行分析は細かくできても、
その先の生活が見えていないなら、少し危ないのかもしれません。
まとめ
歩き方の“きれいさ”を追い求めること自体が悪いわけではありません。
でも、それを目標にしてしまうと、本当に大事なものを見失いやすくなります。
大切なのは、
患者さんの人生にとって意味のある実用性を獲得できるかどうか
です。
歩行は、見せるためのものではありません。
生活のためのものです。
だから私たちは、歩き方を評価するときも、
「きれいかどうか」ではなく、
安全か 使えるか 続けられるか 生活に返るか
を見ていく必要があります。
歩容の質は、そのために必要なら追う。
でも、目的はあくまで患者さんの生活です。
そこを見失わなければ、歩行練習の意味も、リハビリの意味も、ぶれにくくなるのではないでしょうか。