脳卒中のリハビリをしていると、姿勢について考える場面は本当に多いですよね。
骨盤を起こす。
体幹を整える。
左右差を見る。
座位を安定させる。
支持基底面を調整する。
こうしたことは、日々の臨床で当たり前のように行われています。
でも、ここで一度立ち止まって考えたいことがあります。
その姿勢って、何のために整えているんでしょうか。
ここが曖昧になると、リハビリは簡単にズレていきます。
姿勢をきれいにすること自体が目的になってしまう。
左右対称にすることがゴールになってしまう。
静的に安定して座れることを、いつの間にか「改善」と呼んでしまう。
でも、本当に大事なのはそこではないはずです。
どれだけ静的にきれいな姿勢が取れても、
その姿勢が食事につながらない。
更衣につながらない。
移乗につながらない。
トイレ動作につながらない。
そうであれば、患者さんにとっての意味はどうしても薄くなります。
今回は、姿勢は良くするものではなく、使い分けられることが大事なのではないかというテーマで、改めて整理してみたいと思います。
きれいな姿勢が取れることと、生活が楽になることは同じではない
ここは本当に大事なところです。
私たちはつい、座位が整うと「良くなった」と感じやすいです。
骨盤が立った。
体幹が伸びた。
左右対称に近づいた。
頭部の位置が安定した。
もちろん、こうした変化自体を否定するつもりはありません。
姿勢が崩れすぎていて、そもそも活動が成り立たない人にとっては、土台を整えることは必要です。
でも、そこで終わってしまったら不十分です。
患者さんが本当に困っているのは、
「座位がきれいでないこと」そのものではなく、
食事がしにくいこと
服が着にくいこと
立ち上がれないこと
移れないこと
生活が不自由なこと
です。
つまり、姿勢の価値は、姿勢そのものの中にあるのではなく、
その姿勢が生活行為にどうつながるかの中にあります。
ここを外してしまうと、セラピスト側だけが満足するリハビリになりやすいです。
姿勢は「良くするもの」ではなく、「使い分けるもの」と考えたい
私は、姿勢については
「良い姿勢をひとつ作る」ことよりも、「課題に応じて姿勢を変えられること」のほうが大事
だと思っています。
なぜなら、実際のADLでは、ひとつの正しい姿勢をずっと保つ場面なんてほとんどないからです。
食事では少し前に手を伸ばします。
更衣では片手でバランスを取りながら体を傾けることがあります。
トイレ動作では衣服の上げ下ろしに合わせて重心を移さなければいけません。
移乗では方向転換や前傾が必要になります。
つまり生活の中で必要なのは、
きれいな静止姿勢ではなく、
目的に応じて姿勢を変えられることです。
前に倒れる。
横にずれる。
戻る。
支える。
片側に荷重する。
回旋する。
こうした姿勢のバリエーションがあって、はじめて生活の動きにつながっていきます。
だから、姿勢を評価するときにも
「この人はまっすぐ座れるか」だけでは足りません。
むしろ見たいのは、
前に行けるか
横に移せるか
片手操作の中でも保てるか
課題に合わせて崩しすぎず変えられるか
です。
「整えること」が目的になると、リハビリはズレやすい
姿勢の議論で気をつけたいのは、
整えること自体が目的化しやすいことです。
これは本当に起こりやすいです。
骨盤を立てる。
体幹を伸ばす。
左右差を減らす。
非対称を直す。
こうしたことに集中していると、いつの間にか
その先の行為が抜け落ちてしまいます。
でも、姿勢は本来、何かをするためのものです。
食べるための姿勢。
着替えるための姿勢。
立ち上がるための姿勢。
移るための姿勢。
歩き出すための姿勢。
そこから切り離された姿勢は、どうしても意味が薄くなります。
もちろん、姿勢を整えることが必要な場面はあります。
著しく崩れていて、課題そのものが成立しないとき。
苦痛が強いとき。
支持性が低すぎるとき。
安全性が保てないとき。
そういうときには、調整は必要です。
でもその調整は、
整えることがゴールではなく、次の課題につなげるための準備
であるべきだと思います。
ここを履き違えると、姿勢を直して終わるリハビリになります。
それでは、患者さんの生活はなかなか変わりません。
患者さんが喜ぶのは「きれいな姿勢」ではなく「できることが増えること」
ここも外せない視点です。
患者さんは、もちろん「楽に座れる」ことは嬉しいです。
痛みが減ることも嬉しい。
不安定さが減ることも嬉しい。
でも、それ以上に喜ぶのは、
食事でこぼしにくくなった シャツに袖が通しやすくなった ベッドから車椅子に移りやすくなった トイレでズボンを上げやすくなった 一人でできることが増えた
こういう変化です。
つまり、患者さんにとって意味があるのは、
姿勢そのものの改善ではなく、
生活の変化につながる改善です。
ここを見失うと、私たちは「まっすぐ座れました」「左右差が減りました」と言って満足しやすい。
でも患者さんからすると、
「それで、生活はどう変わるんですか?」
という話になります。
これは本当に大事な問いです。
姿勢を見るなら、「きれいさ」より「変えられるか」を見たい
私は、姿勢評価で大事なのは
きれいかどうかより、
変えられるかどうか
だと思っています。
まっすぐ座れることは、たしかにひとつの要素です。
でも、それだけでは生活にはつながりません。
本当に見たいのは、
前方リーチに合わせて前傾できるか 片手が使えない中でも保持できるか 方向転換に合わせて重心を移せるか 立ち上がりに必要な前方移動ができるか 一度崩れても戻せるか
こういうところです。
つまり、静的な姿勢より、
動作の中での姿勢制御が大事なんですよね。
姿勢は、固定された形ではなく、
行為に応じて変化するものとして見たほうが、ADLとのつながりが見えやすくなります。
左右対称にこだわりすぎると見えなくなるものもある
姿勢の話をしていると、どうしても左右対称が良いもののように扱われやすいです。
もちろん、極端な偏りが活動を妨げているなら調整は必要です。
でも、左右対称が常に正解とは限らないと思っています。
実際の生活では、左右対称で行う動作ばかりではありません。
片手で支える。
片側に重心を移す。
振り返る。
物を取る。
こうした場面では、むしろ非対称の中でうまく動けることのほうが大事です。
だから、
「対称に近づけること」
だけを見るのではなく、
その人が必要な非対称性を使いこなせるか
という視点も必要だと思います。
姿勢はゴールではなく、生活を支える手段
結局のところ、姿勢について一番大事なのはここだと思います。
姿勢はゴールではない。
生活行為を支えるための手段である。
この視点があると、臨床がかなりブレにくくなります。
姿勢を整えるのも、
座位を安定させるのも、
重心移動を引き出すのも、
全部、何かをするためです。
食べるため。
着替えるため。
立つため。
移るため。
歩き出すため。
そこにつながらない姿勢調整は、どうしても意味が弱くなります。
逆に言えば、多少見た目がきれいでなくても、
その人が安全に、効率よく、生活行為を行えるなら、
そこには十分価値があります。
まとめ
姿勢は、良くすること自体が目的ではありません。
きれいな静的姿勢が取れるようになっても、
それがADLにつながらなければ、患者さんにとっての意味はどうしても薄くなります。
本当に大事なのは、
課題に応じて姿勢を変えられること
姿勢のバリエーションを持てること
そして
その姿勢制御が生活行為につながること
です。
だから、姿勢を見るときには
「まっすぐ座れているか」だけでなく、
「その姿勢で何ができるようになったのか」
まで見たいと思います。
姿勢は、整えるために整えるものではありません。
患者さんの生活を変えるために使うものです。
ここは、やはり外せない視点だと思います。