セラピストから悩みの相談を受けることが非常に多い。そして、その多くは患者さんとの関係に関するもの、スタッフとの関係性に関係するものである。つまり人と人との関係性で悩むことがほとんどなのである。
人と人の関係性にはルールがあり、それを超えて関わるとストレスが溜まり、悩んでしまうのである。
セラピストと患者さんの関係のルールを整理して悩みを解消しましょう。
セラピストの悩みを解決する(自宅退院編)
セラピストの想いと患者さんの想いにズレが生じ、悩みを抱えるリハビリスタッフはたくさんいるのではないのでしょうか?
セラピストは「なんとかして自宅に帰れる能力を獲得してもらい、自宅に帰って貰いたい。」と思い、トイレや入浴など自宅での生活を想定したリハビリテーションを提供している。
また、家族も日々のリハビリテーションを頑張って自宅に帰ってきてほしいと願っている。
しかし、当の本人はもう施設に行くと言い張っているとしましょう。
こんな時、セラピストとしては自宅復帰を目標に工夫しながらリハビリテーションを提供してきたので、何とも言えないやるせなさを覚えるのではないでしょうか?
私もみなさんと同じ様に想い悩んだ時期を経験してきました。
しかし、患者さんファーストで退院後の生活や人生を考える様になってから、過去の様に思い悩むことが随分減りました。
誰のために自宅に帰るのか?
自宅に帰ったら好きなものが食べられるし、孫とも会える。だけら家の方がいいに決まっている。なんて思っていませんか?
この様な思いは、セラピストこれまでの経験や想像である事を、まず認識しましょう。
そもそも自宅へ帰るのは誰のためなのでしょうか?
自宅復帰を目標として、課題やリハビリテーションを考えたセラピストの思いのためですか?
それとも一緒に暮らしたい家族の想いのためですか?
もう一度聞きます。
一体誰のために自宅に帰るのですか?
退院後の生活は誰のものか?
患者さんの退院後の生活を考える上でセラピストが最も重視しなければいけない事があります。何か思い浮かぶ事はあるでしょうか?
我々セラピストが患者さんの退院後の生活を考える上で最も重視しないといけない事は、患者さんの想いを反映しているかどうかである。つまり、患者さん自身が自宅での生活を想像し、自宅に帰りたいというか想いがあるのか?という事です。
患者さんが思っている退院後の生活は実現可能なのか?ということなのです。
そう。退院後に生活を送るのは患者本人なのです。
我々セラピストは患者さんの自己実現をできる限り実現することなのです。
患者さん本人がどんな選択をしたとしても、セラピストが悩む必要はないのです。
また、セラピストが説得や誘導をする必要もないのです。
退院の方向性を決めるにあたりセラピストが行うべきこと
- 自宅に帰るとできること
- 自宅に退院するとすれば、どんな介助が必要になるのか?
- どんな福祉用具を入れれば家族や患者さんが楽になるのか?
- 自宅生活のどんな場面にどのようなリスクがあるのか?
- 能力維持のために続けた方が良いこと
などです。
セラピストが悩む原因
患者さんが自宅に帰ることがハッピーかどうかはセラピストには分からないのです。
セラピストは退院先の意思決定を判断する情報を提供することがあっても、意思決定に入り込むことがあってはならないのです。
患者さんや家族さんの意思決定にセラピストが入り込もうとすると、自分では解決できないので悩み、ストレスが溜まってしまうのです。
セラピストは「自宅退院が可能な状況を整える」までが仕事なのである。その上で、退院後の方向性を決めるのは患者さんと家族なのである。
本人と家族の意見が違う場合
本人と家族の意見が違う場合に本人や家族からどうするべきなのかを相談されることがあったり、説得の手伝いを依頼されることがある。
こんな時セラピストは、本人と家族の意思決定に対して「自宅の方がいい。」とか「施設の方がいい」などの口を挟むべきではないです。
退院の方向性は家族が自分たちの責任で決めるべき事項なのである。また、「家族が本人を説得する。」または「本人が家族を説得する。」についても本人と家族で解決すべき事項なのである。
セラピストは患者さんや家族さんの人生に関わり続けることができない。
また、患者さんと家族のこれまでの関係や歴史を知らないのだから・・・
もう一度言おう。「セラピストは退院後の方向を決める意思決定に対して口を挟んではいけない。」
まとめ
いかがでしょうか?
セラピストが真面目に患者さんに向き合っていると、知らず知らずのうちに患者さんと家族さんの意思決定に介入してしまうことがある。
手術であれば、するかしないかは患者さんが決める。その際に医師は成功の確率や手術の方法、合併症の可能性、または他の治療方法などを説明するのみである。
セラピストも同じように考えればいいのではないでしょうか?
どのような意思決定にも真剣に寄り添う事こそ大切な事なのではないでしょうか?
もう悩む必要はないのです。